2016/08/12

ほとんど眠れず。ホテルに設置してあるサウナで汗を出したら大分調子が良い。京都駅で増田さんと待ち合わせて、バスで舞鶴へ向かう。公共交通機関の座席背もたれが首/頭部にしっくりきたことがないのだけれど、あれは、わざと納まりが悪くなるように設計されているとしか思えない。うつらうつらしている間に渋滞に巻き込まれ、二時間遅れて舞鶴に到着する。駅で砂連尾さんと待ち合わせて、タクシーでグレイス舞鶴へ。

 砂連尾さんのストレッチワークショップ、ダンスワークショップ。臨床哲学者の西川勝さんのレクチャーを挟んでたっぷり四時間。久しぶりに幾つか簡単なヨガのポーズに挑戦したが、全くうまくいかない。体そのものが障害物と化してしまう。普段のストレッチがいかに雑かを思い知らされる。もう少し普段の運動に順番、体系を導入しよう。少し締めたい気分。音の流れている場所を探す。スタジオをウロウロしながら、参加者それぞれが発見した音の流れている場所を辿っていく。参加者2人と入所者の岡田さんと、気持ちの悪い音(耳に聞こえる必要はない)を作り出す。合間合間に西川さんのレクチャーが挟まる。音、は耳で聞いているだけではない。耳、目、触感、想像。実際に体で感じていないにも関わらず、夢の中では感じることができる。擬音語。無音ではない静寂の擬音語、シーン。シーンという音を聞いているわけではない。岡田さんとのセッションにタイトルをつける。考える/思う、ではない感じたことを言葉にする。相手に伝える必要のない、自分自身にしっくりくる言葉。通貨としてやり取りできる言葉ではなく、“根のある言葉”。参加者それぞれにしつこく聞いていく、おそらく西川さんが答えを持っているわけではない。西川さんもよく分からない、だからこそ、そういう言葉に出会いたという欲求がしつこさの元になっているのだと思う。

夜は豊平さんの哲学カフェ。“死者”について。盆の話を聞いていて発見があった。パフォーマンスの恐れ、やったことは消えてなくならないという感覚。星の光が地球に届いた時点で、我々は過去の光を見ているのと同様に、過去は遠く離れた場所で現在として存在している。

 “人間は死なないんだよ、消えて行く奴はいるけれど” - 荒川修作

とすれば、人間はなくならない。ただただ遠く離れていく。身振りも声もなくならずに、遠く離れていく。

お好み焼き屋で飲食をしながら、施設長の淡路さん、西川さん、砂連尾さんからたくさんの話を聞く。今日来ていたTシャツはたまたま砂連尾さんと全く同じものだった。施設の空き部屋に泊めてもらう。

小学校の教育実習生、夏休みにしか会えない親戚のお姉さん、修学旅行に同伴した旅行代理店の社員。特別美人というわけではないのだけれど、子供の頃に体験した(かもしれない)ときめきをフラッシュバックさせる雰囲気の女性が一人いて、目を合わせられない。成熟から程遠いと感じる。

夜、流れ星を見る。