2016/08/07

数日前から会社を無断欠勤し、連絡不通になっている弟の様子を見るために、両親が秋田から上京してきた。勤務先の社員から電話で聞いたところによると、アパートまで行ってみるもドアに鍵がかかっており、電話をかけても部屋の中で呼び出し音が鳴っている気配もない。電気メーターも動いている様子はない。昨晩は最悪の事態を想定し、終電間際の電車でアパートまで様子を見に行った。鬱で引きこもっているようならば、あまり刺激するのはよくないだろうと、訪問したことも悟られないように、ドアの前で耳を澄ましてみるが物音一つない。電気メーターの動作を確認することはできなかったが、風呂場の換気扇が回っている音が聞こえるので、電気が止まっているわけではないようだった。郵便受けの新聞紙は、会社から田舎の両親に電話があった日の前日分から溜まっていた。夜眠れず。

朝、両親と駅で待ち合わせる。母親は駅近で待機。父親とアパートに向かい、スペアキーでドアを開けて中に入ると、弟はいた。

シャワーを浴びさせて、食事をしながら話を聞いていると、どうやら、寝坊してしまい、そのまま面倒臭くなってしまったとのことだった。SEの仕事は過酷だ。仕事はほとんど毎日、早朝から深夜まで。趣味の時間を作ることもできなければ、会社の同僚以外の人間と知り合う機会もない。人は孤独が続くと、人との関わりが面倒になる。関わりの中で生きているということが見えにくくなる。朝、目が覚めて時計を見ると出勤時間を過ぎている、電話の着信が数件、その時、詫びの電話を返す、急いで会社に向かう、ということができない。面倒臭いな。関係を修復するよりも、断ち切る方が楽だからだ。本人が断ち切ろうとしている関係の背後に、大勢の人間が動いているということを想像することができないのは、他者に接する機会を逸していることが原因になっているのではないか。しかしどうしたらいいのだろう。仕事以外の時間はないのだ。正直、馘になればいい、と思っていたが、10年も務めていると会社はなかなか辞めさせてくれない。明日から出勤するという。

今年は盆に帰省することはできなかったので、思いがけず東京で家族四人がそろった。今月の占いに、家族間でドラマチックな出来事が起こるかもしれない、と書いてあったのはこのことを指していたのかもしれない。まあ、生きていて良かった。なにしろこの暑さだ。部屋の中でビーフシチューになっていたらどうしよう、マスク三人分買っていこうかな、来週の関西視察は取り消しだな、喪服っていくらだ、過労死だったら会社を訴えよう、この体験が作品になるかな、とか、様々な想像が。平野勝之「監督失格」のワンシーンがフラッシュバックしていた。昨晩、その場面を思い出しながら、数日分の新聞束が挟まったドアの郵便受けから部屋の中の匂いを嗅いで、異臭の有無を確認していた。今日、まだ弟の生死の確認が取れる前、父親が玄関のドアを開けて、弟の名前を呼びながら廊下を進んだ先にある部屋の扉を開けた時に、ベッドの上に投げ出された手足が目に飛び込んできたあの光景は、しばらく忘れられそうにない。