2016/07/04

夜眠られず、深夜に見始めた映画、ジェームズ・デモナコ「パージ/アナーキー」が面白く、見終える頃には劇中で夜が明けるのに合わせて外も明るくなっていた。前作「パージ」に続いて、主人公が次から次へと現れる登場人物に足を引っ張られ、予定を狂わせられる物語に、ついつい苛々してしまうが、アナキストが現れるシーンは爽快で、思わずガッツポーズが出てしまう。現実世界で殺人の多くは突発的なアクシデントによって起こるのだろうが、はたして、法律によって“粛清の日”を制定することで、犯罪率が減ったりするんだろうか。厳罰が、犯罪の抑止に大きな効果を上げないのとおなじ理由で、“粛清の日”の効果もあまり期待できないように思うのだが。ちょうど三作目が全米公開される頃らしい。早く日本で見たい。

汗ばんだ素肌に扇風機の生ぬるい風をあてるよりも、服を着て皮膚刺激を抑えたほうが暑さをやり過ごすことができることに気がついた。それでも日中は部屋にいるだけで熱中症の恐れがあるくらいの季節になってきた。気持ちのいい夕立があり、涼しい風が部屋に入ってくる時間があって、ようやくまともな睡眠を得ることができた。暗くなってから起きて、5月から読み残していたユベルマン「ヒステリーの発明」下巻をようやく、片付けるように読んだ。新版に収録されたあとがきが個人的には大きな収穫で、フロイト「文化の中の居心地悪さ」から、昇華と症状/徴候という言葉を用いて芸術/文化の成り立ちを解説するくだりが興味深かった。

“「苦しみの源泉から発してくる脅威に対抗して我々が身を守るために用いるものはすべて、このおなじ文化にまさしく属している」にもかかわらず、文化はすこしも苦しみから守ってくれはしない、”

ここで述べられているペシミズムは文化の成り立ちを告白するよりも、むしろ、昇華を理想化することを退ける役割を持っていると思われる。抑圧の解消、気晴らしへと昇華することなく、居心地の悪さ=症状に留まることを、芸術/文化が持つ役割への謙虚さに引きつけて読んだ。