2014/08/22

8/22

10日間ほど帰省していた。特に何をするでもなく、本を読んだり、映画を見たりして過ごした。来月、アサヒアートスクエアでこれまでの10年、これからの10年、というテーマで話す。10年間の仕事を確認したら、なんというか、ダラダラ続けてきてしまった、という感想しかない。2004年はちょうど劇団を退団した年だ。タイトルが欲しい〜、コンペで賞を取ることが活動の突破口であり、モチベーションだった。先月、その頃目標にしていたトヨタアワードに出場出来たのは、終わってみるとしみじみ感慨深い。ファイナリストに残ったのは初めてだったが、出演者で3回参加している。3回は言ってみれば、最多出場で、他にチェルフィッチュの太一くん、ほうほう堂の福留さん、大学の先輩で白井さん。だから記念のような気持ちで、ファイナリストでなくても3回は出たいな、と思っていた。他人の作品でも良かったが、まさか最後まで残ってしまった。一次審査に送った嫌がらせの怪談は、その内容が面白がられたのではなくて、横浜で上演した作品の再演を見越して、橋本さんが推薦して残したのだそう。受賞した川村さんの作品から漂うヤマっけが爽やかだった。これはとるな、と思った通りだった。塚原くんはコンペのルールを変えるようなトンチを持ってくるのかと思っていたら、いつものゴンゾだった。僕は今回、一生懸命練習する感じのダンスだったので、そのプロセスがバカバカしく感じられるような、無意味に感じられるような、そういうトンチをビクビクしながら楽しみにしていた。終わった後、毎年恒例の桜井さんとの残念会。桜井さんの顔を見ていたら、やっぱり、トヨタアワード、欲しかったな。もう応募しないけれど。これからの10年、、、。考えただけで怖いし、またダラダラ10年過ぎて歳を取っていくのかと考えると死にたくなる。実家で最後の夜に見た夢が良かった。梅田くんのお見舞いに駆けつけた飴屋さんが、ビル一個分くらいある横長の巨大パネルを振り回していて、多分自分で作ったんだろう、そこに貼り付けてある段ボール製のヒト型人形が地面にボロボロ落ちていた。人形は実際の人間とほとんど同じサイズだった。飴屋さんはあのボソボソ喋る声で、な、お、る、と、い、い、な、なんてハミングするように呟いていて、その後ろからカメラを持った渡邉さんが付いて歩いていた。帰京してすぐ、資生堂ギャラリーと背守り展を見に行った。資生堂ギャラリーは良かった。アイディアがあって、それを実現出来るスキルがあるっていうのは、もしかしたらちょっと退屈なことかもしれない。僕はスキルがないので、そのまっすぐな道を歩くようなプロセスに憧れる。