2014/04/25

4/25

昨晩飲み過ぎたせいでひどい頭痛。昨日ジウンさんから提案されたアイディアで、人混みの中を僕が後ろ歩きをして、それを逆再生する映像が欲しいとのことで撮影に向かう。そういう映像は見たことがあったのでyoutubeから探して示すと、そうそうこれこれと言う。博多駅前の横断歩道を何度か後ろ歩きさせられて朝から不機嫌。今日はボランティアで戦争の語り部をしている79歳の男性宅でインタビュー。楠原さん。どうやらこちらの取材趣旨があまり伝わっていなかったようで、普段行っているような語り部の仕事をするために、DVDや模型の戦闘機や資料が準備万端に用意されている。撮影クルーはインタビューだけが欲しいようだったが、これは面白そうなのでそのままお願いした。団地のアパートの一室に入ると全員分の飲み物が用意されていて、キャラクターが印刷されたグラスや、飲み物のチョイス(天然水のオレンジ味)が懐かしい気分にさせる。おじいちゃんの家に行くと出されるジュースの味、親戚の家で食べたお菓子の味。昭和20年の福岡空襲、B29と焼夷弾の話。耳が遠いのでこちらの声も大きくなる。最後にいつものインタビューで聞いている質問を幾つかする。楠原さんは韓国にも何度か旅行に行っているらしく、釜山が好きで1人で旅行に行くのだと言う。講演で使っている総務省作成のDVDを流しているプレイヤーの画面には、空襲で焼けた街並みが映って悲壮なシーンが繰り返されているが、その後ろで、生のタコがうまくてねぇ〜、と話す楠原さんの画が可笑しくてたまらないが、こういうところは撮影していない。ふと振り返ると撮影クルーは、壁に掛けられた家族の写真が、撮影しにくいということで壁から降ろしていたりする。頭にきたが黙っていた。昨日から基本的に撮影に関して僕は口出ししないことにした。それでも、欲しい画のために元々あるものを動かしたり、NGやリテイクがあることに対してどうしても反感を覚える。何かをつくるために人意を加える必要があるのはわかるし、その基準も恣意的なものなので勝手といえば勝手だが、どうしてもやってはいけないことをしているような気分になる。楠原さんは大当たり、本当に楽しい話がたくさん聞けた。大勢が訪ねてきてくれたことが嬉しいようで、団地の外まで釜山の写真を説明しながら送り出してくれた。写真に写っている人物を指して、この人は誰ですか、と聞けば、これはたまたま隣に座った人、と返ってくるし、何度も、やぱっりお金は使わないとね、イヒヒヒヒ、と笑いながら親指と人差し指で丸を作って示したり、キュート。次は糸島に移動して、太陽の皿、というフレンチレストランでインタビュー。前回のプロジェクトまで参加していた松井さんという10代のダンサーと、お母さんに話を聞く。シェフのお父さんは仕込み中で忙しく、インタビューは出来なかった。松井さんは韓国プロデューサーサイドからの一押しダンサーだったのだが、ちょうど公演と重なる時期にアメリカのアーティストキャンプに参加するとのことで今回は出演出来なかった。レストランでお母さんにインタビューした後で、普段練習しているという、レストラン裏の保養施設のトレーニング室で松井さんに話を聞く。大浴場、ジム、プールやサウナもついた立派な施設は松井さんの親戚が経営しているのだそう。トレーニング室に入ると1人の男性がストレッチをしていた。撮影のセッティングを終え、インタビューを始める前にスタッフが、ストレッチをしている男性にどいてもらうよう声をかけようとしていたので、ちょっと待って、と声が出た。それはないんじゃないか。でも、どいてください、ではなくて、撮影したいのでちょっと移動してもらうことが出来るかどうか、相手に聞いて、伺いを立てるのは普通のことだと判断し、OKを出した。そしたら男性は不服そうな態度でヨガマットを蹴るように片付けて、トレーニング室を出て行ってしまったので心が痛んだ。申し訳ない。松井さんのインタビューを終えて、レストランに移動して夕食。そしてダンサーに関するミーティング。今回、僕の方からダンサーに関しては要望がない。誰でも何人でもどんな人が来てもいい、と伝えていた。そしたら釜山から三人、福岡から二人ダンサーが決まったが、福岡サイドはもう一人ダンサーを加えたいらしく、それに対して韓国サイドが難色を示しているとのことだった。僕はどっちでも良かったが、時間を取られるのがバカ臭いので、じゃあ僕の方からダンサーは両国から三人ずつにして欲しいと伝えます、と福岡サイドと打ち合わせてミーティングにのぞんだら速攻で決まった。福岡サイドには、僕は日韓の二重スパイなので都合のいいように使ってください、と伝えた。そして直ぐに未定になっていたダンサーに電話でことの顛末を報告。工作員のように動くダンサーのイメージが浮かんで、これは裏テーマで使えると思った。